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典子と猫と母の禁煙

読売新聞の「人生案内」を読んで感じた人間模様を、クスっと笑えるショートストーリーにリライトしてみました。

小林典子は自宅でネイルサロンを経営している。年齢は45歳、独身、離婚歴がある。勝気な性格で子どもはいない。母親と同居している。家族は二人だけであるが、ペットの猫を飼っている。妹が一人いるが、結婚して他県で暮らしている。

今日は彼女のネイルサロンに取引先の業者がネイル用品の納入に来ている。

取引先の業者は島本昇といい、年齢は63歳で、夫婦と事務員の3人で、主に化粧品関連の器材のリースおよび販売をしている。温厚で人望がある。

「島本さん、コーヒーを入れましたので、どうぞ召し上がってください」

「ありがとうございます。今日はお母さん、お出かけですか?」と島本が言った。

「ええ、ご近所のお友達のところですの、お昼ごろには帰ってきますわ」

「お母さんお元気で、なによりですね。おいくつですか?」

「今年73歳になりますのよ」

「そうですか、いやー、お母さん若こう見えますね」と島本はにこやかに微笑みながら言った。

「母のことで困っていることがありますのよ。聞いてくださる」典子が応接のソファーの向かいに座っている島本に少し身を乗り出すように切り出した。

「実はね。私、猫を飼ってるでしょ、この前の定期健診でうちの子に持病のあることが分かりましたの」

「どっか悪いんですか?」

「腎臓が弱っていますの、ごはんも療養食にしていますのよ」

「そうですか、それはちょっと心配ですね」

「それでね、母がタバコを吸いますでしょ、それで猫への影響が心配なんですよ。母に家でタバコを吸うのはやめてほしいと言っているんですけど、言うことをきいてもらえないので困っていますの」

「昨日、これからも、ずっと吸うつもり?と聞いただけで大げさに怒りますのよ」

「母は目の前で、吸うわけじゃないといいますけれど、狭い家ですから、本当に大丈夫とはおもえません。猫の健康よりタバコを優先する気持ちが理解できませんし、タバコへの依存が強すぎるように感じますわ」

「母にはむかしから、お願いごとをしても聞いてもらった試しがありませんわ。もともとの頑固な性格の上に、もうすぐ後期高齢者ですから、年齢のせいもあるかもしれませんわね」

「今までは私が我慢すれば済むことだと思ってあきらめてきましたわ。でも今度ばっかりは許せませんの」

「猫にはできるだけ健康で長生きしてほしいという気持ちが強いものですから、諦めがつきません。どうしたらよい良いと思います?」

「んー、それは困りましたね」と島本が言った。

「ただ、お母さんの立場で考えてみますとね、怒らんと、聞いてくださいよ」

「お母さんにしてみたら、自分はタバコをやめたいと思ってるけど、なかなかやめられへん」

「娘は私の体のことを心配して、やめてほしいと言うてくれるのやったらわかるけど、なんで猫のためにタバコをやめんといかんのかいな、と思わはるかもしれませんね」

「ひょっとしたら、母親のわしより、猫のほうが大事や、と思てんのちゃうかいな、という気がしたはんのかもしれませんよ」

典子の大きな目が少し険しくなったようである。

「島本さんもわたしが母よりも猫のほうが大事だと思っている、とおっしゃるんですか?」

「ちゃいますよ、こない言うのは、典子さんの話を聞いてますと、お母さんよりも、猫のほうが大事やから、タバコも我慢するようにと言うたはるように聞こえんこともない、というはなしですわ」

「じゃあ、どうすればいいのよ?」

「やっぱり、あなた、わたしが母よりも猫のほうを優先していると思っているんじゃない?」

「いや、そんなこと思てませんよ、典子さん、ちょっと待ってください」

島本が遮るようにあわてて話を続けた。

「お母さんは猫のことも考えて、猫の前では吸わんように気を使こてんのに、なんで自分の気遣いがわかってもらえへんのやろと、思たはんのちゃうかいうはなしですわ」

「そりゃあ、わたしだって、母の体のことが一番心配ですわ。まえから何度もタバコは止めるように言ってますし、ただ今回はうちの猫に持病があることが分かりましたから、ちょうどいい機会でもあるし、猫のためにもやめてほしいって言っているんですよ」

「そういうことですか。いやー、すんません。さっきの典子さんの話聞いてますと、聞きようによってはですけど、お母さんより、猫のほうが大事やちゅうように聞こえましたんや」

「すんません。余計なこと言うて。私は典子さんがお母さんと仲良う暮らしてほしいさかいに、そう言わしてもうたんですわ」

「実は、私もタバコをやめて、5年になりますけど、やめるときは家内とひと悶着ありましてね」

「実際、タバコはなかなかやめられませんよ、身体に悪いのはようわかってますけど、やめられません」

「5年前に家内がタバコの副流煙のことを言い出しましてね、受動喫煙いうて、タバコを吸うてる本人よりも、近くにおる家内が、実はいちばん被害を受けてるいう話ですわ」

「それで、私も受動喫煙とか、副流煙のことを聞いたり、調べたりしてみたんですけど、そうするとあらためてタバコがほんまに有害やいうことがよう分かりました」

「タバコ吸うた後の自分の吐く息の中にも体に悪い有害物質が含まれてるいうこととか、タバコのにおい嗅ぐだけでも身体に悪いいうことですわ」

「まあ、それで私も責任感じましてね」

「あら、島本さん、ちょっと待ってください。母が帰ってきましたわ」

「せや、典子さん、この話、お母さんにもしてあげまひょか」

玄関の戸を開ける音がして、典子の母親が、部屋に入ってきた。

「島本さん、娘がいつもお世話になっています。ありがとうございます」

「あら、お母さん、これは?」と典子が言った。

「またたび入りのミーちゃん(猫)のおやつだよ」

「それじゃなくて、このパンフレットよ」

「ああこれかい。きぬ子さん(母親の友達)に昨日の典子との話をしたら、そこを勧めてくれたんだよ。とりあえずパンフレットだけもらってきたよ、禁煙外来の」

「きぬ子さんも気にしていたんだね。受動喫煙の話しもしてたよ」

「お母さん、昨日はごめんね。ミーちゃんに持病があることが分かって、禁煙するにはいい機会だと思ってきつく言ったのよ」

「いいんだよ。分かってるよ。今度はお母さんもタバコやめるよ」

「どうやら、私の体験談はしゃべらんでもようなったみたいですね」と島本が言った。

「何の体験談です」

「お母さん、実は私も5年前に禁煙したんですわ」と島本が言うと、母親は嬉しそうに島本の方を振り返った。

「あら、それはぜひ聞かせてください」

「そうですか、ほんならじっくりこの話させてもらいましょうか、これはもう涙なしには語れへん禁煙奮闘記ですわ」

典子は思わず吹き出しそうになり、淹れなおした二人のコーヒーをこぼしそうになった。